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興福寺散策 [古寺巡礼]

興福寺散策
  2015/2/10

興福寺南円堂をお参りし、納経してからは境内を散策です。

興福寺の歴史
・和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。 この710年が興福寺の創建年。
・興福寺は奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、平安時代には春日社の実権をもち、大和国一国の荘園のほとんどを領して事実上の同国の国主となった。 その勢力の強大さは、比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」と称された。
・その後、興福寺は、たびたび火災に見まわれ、その都度再建を繰り返してきた。中でも治承4年(1180年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の最中に行われた平重衡の南都焼討で、東大寺とともに大半の伽藍が焼失した。 現存の興福寺の建物はすべてこの火災以後のものである。
・江戸時代は21000石の朱印を与えられ保護された興福寺だが、明治元年(1868年)に出された神仏分離令は、全国に廃仏毀釈の嵐を巻き起こし、春日社と一体の信仰が行われていた興福寺は大きな打撃を受けた。 子院はすべて廃止、寺領は1871年(明治4年)の上知令で没収され、僧は春日社の神職となった。境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。 一乗院跡は現在の奈良地方裁判所、大乗院跡は奈良ホテルとなっている。 一時は廃寺同然となり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末だった。  行き過ぎた廃仏政策が反省されだした1881年(明治14年)、ようやく興福寺の再興が許可された。

興福寺南円堂の参道の階段途中からの道・・・・
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三重塔
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興福寺北円堂
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只今、周辺は整備工事中です。
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東金堂
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堂内には立派な「銅製薬師三尊像」と日光、月光菩薩像が居られます。

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