山を歩きながらの写真とその状況を書き綴ります。
DC3のコメントありがとうございました。航空機の思い出はわたしもたくさんあります。①昭和36年、4発小型プロペラ機 DH.114 ヘロン(15人乗り)に乗って八丈島に行ったとき、機内が気密装置でなかったため、鼓膜を痛め入院したこと。②乗っていたJALのDC-7C機が板付空港に着陸しようとしたところ車輪が出ず、しばらく空港上空旋回ののち、海上に出て燃料を捨て胴体着陸の体制を整えたとき、間一髪で車輪が出たこと。③羽田空港でAIR CARGOの仕事をしているときに、日本に初めてジャンボ ジェット機が飛来し、その巨大さに興奮したことなどです。 by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2017-12-01 11:21)
暁烏 英さん コメントありがとうごぞいました。私は機械屋としてのデザイン的、機能的、性能的に飛行機を見てきましたが、暁烏 英さんは日本の旅客機の歴史を全身で経験されて来られましたね。しかも、結構危険な状況も。レベルの差を感じています。恐れ入りました。 by SammyTajima (2017-12-01 13:30)
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カラパタール・トレッキング
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DC3のコメントありがとうございました。航空機の思い出はわたしもたくさんあります。①昭和36年、4発小型プロペラ機 DH.114 ヘロン(15人乗り)に乗って八丈島に行ったとき、機内が気密装置でなかったため、鼓膜を痛め入院したこと。②乗っていたJALのDC-7C機が板付空港に着陸しようとしたところ車輪が出ず、しばらく空港上空旋回ののち、海上に出て燃料を捨て胴体着陸の体制を整えたとき、間一髪で車輪が出たこと。③羽田空港でAIR CARGOの仕事をしているときに、日本に初めてジャンボ ジェット機が飛来し、その巨大さに興奮したことなどです。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2017-12-01 11:21)
暁烏 英さん コメントありがとうごぞいました。
私は機械屋としてのデザイン的、機能的、性能的に飛行機を見てきましたが、暁烏 英さんは日本の旅客機の歴史を全身で経験されて来られましたね。しかも、結構危険な状況も。レベルの差を感じています。恐れ入りました。
by SammyTajima (2017-12-01 13:30)