原田城址 [自転車行2014]
原田城址
2014/10/4
原田城址は中世の土豪・原田氏の居城跡です。
戦国時代末期に廃城となり、その後は庄屋の所有となっていたものが、1910年(M43)に阪急電鉄・宝塚線の前身・箕面有馬電気軌道が開通し、池田室町、岡町、豊中の順で宅地開発が進み、1935年(S10)に松籟園の一角に組み込まれました。
史跡文化財として残す行政が為されずに、商行為の一角に組み込まれてしまったのでしょうが、その後の管理が良かったのか、現在は豊中市教育員会の管理下に置かれているので、これ以上の破壊は行われないでしょう。
原田城址は現在は市街地ですが、豊中の高台の端にあります
原田城址の土塁
現在の家屋は土塁が外壁の一部であり、
庭園からは・・・・
小山のように・・・・
その土塁を崩さずに庭を造った
家屋は当時の和風家屋に一部洋風応接間を加えています。
和室
廊下
洋風応接間 +サンルーム
ガス暖炉+ガス灯
旧羽室家住宅は登録有形文化財
現在の玄関
元の玄関は土塁の下
☆
現在は庭園内と家屋内は土日の12:00から一般公開しています。
☆ ☆
2014/10/4
原田城址は中世の土豪・原田氏の居城跡です。
戦国時代末期に廃城となり、その後は庄屋の所有となっていたものが、1910年(M43)に阪急電鉄・宝塚線の前身・箕面有馬電気軌道が開通し、池田室町、岡町、豊中の順で宅地開発が進み、1935年(S10)に松籟園の一角に組み込まれました。
史跡文化財として残す行政が為されずに、商行為の一角に組み込まれてしまったのでしょうが、その後の管理が良かったのか、現在は豊中市教育員会の管理下に置かれているので、これ以上の破壊は行われないでしょう。
原田城址は現在は市街地ですが、豊中の高台の端にあります
原田城址の土塁
現在の家屋は土塁が外壁の一部であり、
庭園からは・・・・
小山のように・・・・
その土塁を崩さずに庭を造った
家屋は当時の和風家屋に一部洋風応接間を加えています。
和室
廊下
洋風応接間 +サンルーム
ガス暖炉+ガス灯
旧羽室家住宅は登録有形文化財
現在の玄関
元の玄関は土塁の下
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現在は庭園内と家屋内は土日の12:00から一般公開しています。
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