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白山中居神社 [山小屋2013]

石徹白の白山中居神社
  2013/10/4

山小屋からの帰路に白山中居神社に寄ります。

白山信仰の禅定道は金沢は白山比咩神社からの加賀禅定道、福井は平泉寺白山神社からの越前禅道場、岐阜は白鳥町の長滝神社からの美濃禅定道がありました。 石徹白の白山中居神社は美濃禅定道の長滝神社と白山との中間位にあるからとも言われています。

石徹白の伝承   (ガイドブック「石徹白」より)
記紀神話の時代、今から2千年ほど前、景行天皇の頃熊襲・蝦夷の反乱が起りました。そこで、イザナギ・イザナミの神は、国家鎮護のために天降ることになりました。石徹白には山中の古喜味(こきみ)という者がいて、イザナギ・イザナミから信託を受け、長瀧川(長走滝)と短瀧川に囲まれた清々しい森に宮を建てました。神はここに中居りすることになりました。 最初に千曳(ちびき)の岩を引き、菊理姫(くくりひめ)立会いのもと許等度(ことど・黄泉の国に住むイザナミと別れる言葉)を渡しました。その時、一帯に白雲がたなびきはじめました。そこでイザナギの神は千引岩の「石」、許等度の「度」、白雲の「白」の三文字を取って、石度白(いしどしろ)と名づけました。
 養老年間(8世紀初)越前の僧、泰澄(たいちょう)が白山を南面から拓くため、石度白を訪れ、社殿を修復し、社域を広めました。3年を経て、白山開山の宿願が貫徹したことにより「度」を「徹」に変え、石徹白というようになりました。(こうして神仏混合の基となりました)※「石徹白創業伝」等よりの要約
 明治になると石徹白は福井県になりましたが、昭和33年に岐阜県に合併したときに「いしどしろ」から「いとしろ」と呼ぶようになりました。

     ☆

古の歴史に包まれている石徹白は「何々の原形」と考えられるものが多く、永らく神職の世襲の地となっていて、太閤検地時代にはどの藩にも属さない除地となり、年貢もない年貢免許の地となり、名字帯刀を許され、飛騨、信州、近江から遠くは伊豆、駿河から伊勢にまで布教していたとか・・・・。

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石徹白に入って上在所の神域に入る道路に掛かっている
注連張(しめはり)     ・・・・鳥居の原形とか
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道路の終点が白山中居神社の大鳥居
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本殿への参道の大杉
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大日ヶ岳を源とする朝日添(ワサビゾ)川は神域に入り名前を変えた
清流・宮川を渡る
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本殿へ
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大岩を祀り神社の原形とか・・・・     
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本殿
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彫刻「粟穂と鶉」
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脇障子の獅子
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本殿裏の
御神木
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ご案内板
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元正天皇710年代に大徳泰澄が白山を開かれるときに社殿修復が神仏混淆の始まりとか・・・。
でも、明治時代の廃仏毀釈の流れで、国指定重文の仏像等は石徹白の中在所にあります大師堂を建立し、そこに祀られています。

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