戦後の通知票
  2021/2/4

年を経て仏壇から通知票、通信簿などが出てきました。
親が整理して残しておいてくれたのでしょう。 親心でしょうね。

太平洋戦争開戦の年に生まれ、戦時中は防空頭巾を被り、庭の防空壕を経験した世代です。
終戦は1945年、間もない昭和23年(1948)の小学校1年生である・・・

 1番覚えている事は学校で頭から背中にDDTを撒かれて真っ白けで家に帰ったこと。
 現在使用禁止になっているDDTが・・・・。
  小学校は同じ場所にありますが、校舎は代わっています。

当時の1年生の通知票は A5版わら半紙? にガリ版刷り でした。
1学期の通知票   

2学期の通知票

3学期の通知票   


2学年の学級委員任命書 A6判
 

ガリ版刷りは 1学年の通知票 と 2学年の最初の任命書まで、以降の「通信簿」を含め、書類は白い紙に印刷されていました。

こうして書き出していると、想いだします。
1,2年生は池田先生。
3年生は途中で変わられ?  
4年生は遠藤先生。
5,6年生は丸岡先生。   
   行動の記録欄 に 性格を的確に指摘。 
           見抜かれていましたね。

戦後の混乱期、物資が無く、生きることが大変な時期だったのでしょうね。
 先生に感謝です!

親に感謝!!
 
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