里山歩き・美濃禅定道
  2022/10/29

紅葉の壁をさらに下り、前谷の里からの美濃禅定道・旧道を歩きます。 
新道は歩いてきた県道です。

正ヶ洞棚田への農機が通るための新しい道  ・・・旧道への登り口

正ヶ洞棚田   ・・・・・観光資源ですが、小さな田圃は休耕田にも



谷向うの前谷地区には正ヶ洞棚田を眺める場所も・・・・

棚田横の道を少し登ると、前谷の里の中からの人のみ通れる旧道と合流


白山禅定道・旧道に入ると森林に囲まれ、小さい石畳の道が残っています。 
歴史が残っています。
床並社跡

トチノキの古木

石畳の道路が落葉に沈む

丸太の段々道   
   白鳥中学校統合30周年記念歴史街道整備活動・平成5年10月17日(1993)

植林を抜けると 紅葉の稜線道



アラクラの滝   ・・・落葉すれば3段滝が覗く


茶屋峠    

古いお地蔵さん と 石碑
 (南無阿弥陀仏 宝暦五年初冬豊前藩に石徹白を追はれ この地で□死した老若男女の碑)

「石徹白全世帯の約三分の二、500名余りを石徹白から追放処分とした。」とウィキペディアにある。

中の峠   


旧檜峠


ここから歩いて新檜峠へ。

1966年(S41年)山小屋が出来た頃、旧檜峠には稜線上と石徹白側にお地蔵さんがおられましたが、ゴルフ場開発時からはこの旧檜峠のお社に二体揃っておられます。
当時の県道は砂利道で国鉄のバスが1日3便で、自家用車も少ない時代でしたし、通勤通学にも使われていたこの旧道は冬には2m近い積雪がありますので、冬場は非常に危険な道でした。 旧峠から石徹白側の県道脇に非常用の公衆電話ボックスがありました。 
石徹白から福井側の道は現在でも冬季は積雪で通行できません。
これが、石徹白地区が福井県から岐阜県に越境合併した理由の一つではなかったか?、と考えています。 

   ☆    ☆