石徹白川から九頭竜ダムへ
  2013/10/4

石徹白大杉を観ての帰りは、石徹白の里から石徹白川に沿って福井県道・中居神社朝日線R127を通りJR越美北線の終点・九頭竜駅近くで美濃街道・国道R158に入る。
 
履歴を調べると、以前、石徹白は福井県であり、昭和33年から越県で岐阜県白鳥町に合併しました。その名残が道の名前であり、電力会社の配電で、白鳥町・石徹白は岐阜県でありながら北陸電力で、白鳥町は中部電力で、県道・石徹白前谷線の境界は檜峠です。

石徹白渓谷、石徹白の里への空

石徹白の里はトウモロコシも終わり、稲刈りも終わりに近い


石徹白川沿いの県道を下りますが、1車線で多くはガードレールなし、部分的に交差部があり、途中に福井・岐阜の県境があります。 積雪期は除雪がなく、通行不可でしょう。

石徹白川は日本一?鮎釣期間が長い川で、釣り人の多い川です。





下流から上流を振り返る・・・・


石徹白川が九頭竜川に合流するポイントから美濃街道・国道R158へ。
間もなく九頭竜ダムへ。

九頭竜ダムのロックヒルダム堰堤


揚水ダムで、夜には下のダムから揚水するエコダムです。

このダム底には数多くの村がありましたが、このダム湖の向こう側の枝川の上流に我らが山小屋はありました。   クラブで建屋ごと購入し、移築しました。 当初は風呂桶もありました。

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そこには現在、石碑「ふる里之碑」のみが残っています  (過日撮影)


「ふる里之碑」
 この附近は、往年久沢部落が存在
せし地なり
 祖先は、平家の落人と語り継がれ
その墓も平家岳の麓に 遺跡として
安置されしが、心なき人の為に行方
不明となり、現存せず。
 九頭竜ダム建設により昭和四十年
末裔一同は各地に分散移住し、今は
この地に姿なし。
 望郷の念やみがたく、在りし日の
故郷を偲びつゝ記念碑を建立、後世
に伝えるものなり。

その裏には33名の戸主の名が刻まれています。
その内の一軒のお宅が現在の山小屋でしょう。
ダム湖を見るたびに思います。 大切に使わせていただきます、と。

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更に越前と美濃の国境・油坂峠方向に進む。

油坂峠は上から古の人道、その下が短いトンネルのある国道、更にその下はトンネル内でループを形成している元有料道路で今は無料の油坂峠道路・中部縦貫道が通っています。
油坂峠道が地表に出てくると、脚長の高い陸橋が東海北陸道の白鳥ICへ接続しています。
中部縦貫道は松本~福井の縦貫道で安房峠、油坂峠のトンネルで冬季の通行が確保された。現在も福井県側に一部整備中あり?。

油坂峠道と国道との分岐点表示


油坂峠の山並と長良川と白鳥の町を見下ろす陸橋

陸橋上から観る大日ヶ岳


一路、東海北陸道を通り帰路へ。

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