カラパタール紀行(2003-10-19~11-6)
の写真を楽しんでください。
7日間のトレッキングを経て、この光景を眺められました。 Mt.エベレスト(8848m)の岩肌が露な山頂 とローツェ(8501m)山頂が
わずかに見え、眼前に大きくヌプツェ(7864m)が見えます。 間に サウスコル(7925m)、少し下って、アイスフォールと共にクンブー氷河が見えます。 圧巻です。 自然の壮大さの中に無言の毅然たる姿。 眼前に広がる大自然の中で、動きを示すものは雲、雪煙のみ。 他は全て静寂の峰峯、ヒマラヤ襞、アイスフォール、氷河。
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トレッキングルートの概略図
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朝、カトマンズからルクラへ小型機で飛び、
午後からトレッキングを始め、その日はパクディンでテント泊。
翌日、ルートからみえた最初の山。 タムセルク(6618m)
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サガルマータ国立公園の関門を通り、シェルパの里、ナムチェ・
バザール(3440m)に入る。1日停滞し、高所順応のために行った
日本人経営のEverest View Hotel (3700m) から見た大きな箱庭的光景。
Mt.エベレスト(8848m)の頂上とローツェ(8501m)の山嶺、この
ルートの象徴的な山であるアマダブラム(6814m) が手前に見えます。
このローツェが見え隠れするまでこの谷を遡り、エベレストを真東に 見るカラパタールが目的地です。
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ナムチェバザールから奥へ分け入っても、何処かから見える山。
しかも、見る角度により様相が様々に変化する山。
見飽きない山。 アマダブラム(6814m)
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雲が掛かる天候の中、地域最大のボンパ(チベット仏教寺院)のある
タンボチェ(3860m)へ。 ここで新雪舞う一日は高所順応の沈殿日。
雲が掛かり、中々全容を表さなかった氷塊を頭に頂く山
カンテガ(6785m) に雲間から陽が差す瞬間
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雪雲が去ったタンボチェでみる一番陽のMt.エベレスト(8848m)
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朝陽を浴びる山嶺
Mt.エベレスト(8848m)と ローツェ(8501m)、ヌプツェ(7856m)
山裾まで新雪に被われていました
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朝陽を浴びるクンビラ(5761m)
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ショマレ(4000m)の街道から見た、
新雪で装ったアマダブラム全容(6814m)
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雪煙舞うアマダブラム(6814m)
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ベールを冠るローツェ(8501m)
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新雪の道を歩いて、今日のテントサイトのディンボチェ(4343m)に
まで来ると、アマダブラムもその面相を変えてきます。
純白のヒマラヤ襞を見せるアマダブラム・ピーク(6814m)
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新雪に覆われた世界の空気は澄み渡り、冷気は肌を刺し、
しかも紫外線が強烈な新世界。
凛としてそそり立つタウツェ(6643m)
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振り返れば、仰ぎ見てきた山々が眼前に。眼下に。
アマダブラム(6814m)、カンテガ(6783m)
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クンブー氷河を遡り辿り着いた今日のテントサイトの
ロブチェ(4930m)から見るヌプツェ(7856m)
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クンブー氷河を更に遡り、プモリ(7165m)の尾根筋に位置する
最終目的地のカラパタール(5545m)を望む。
行程には尚眼下のロッジのあるゴラクシェフ(5100m)を経なければなりません。
しんどいな~。
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カラパタール(5545m)に登りました。
空気が欲しい。 あ~しんどかった。
この時見た光景が一番初めの画面です。
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これからは、頂上から見る景観です。
唯一Mt.の称号を持つ山 Mt.Everest (8848m) Peak
ネパール名ではサガルマータ、中国名ではチョロランマ
Nuptse Peak (7856m)
Pumo Ri (7185m)
Lingtren (6749m)
クンブー氷河と氷河湖
Ice Fall
Everest Base Camp (5364m)
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高山病も心配ない、バテる心配もない気楽な下山道
登山靴が氷を踏まなくなった時、目の前の山。
タウツェ(6643m)
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Lhotse Peak(8501m)
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夕陽に映えるローツェ(8501m)
テントサイトの周りの山肌が闇に包まれてきたころ、
ローツェの山峰が一時灰色の岩肌を夕陽に輝き、赤く染まる。
そして、地層をより鮮明に浮き立たせていました。
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オルショ(4100m)の星空と月明かりに照るローツェ(8501m)
日本では見られない密度の濃さで満天の星が天空一杯に散りばめられ、
更に頭上には濃密な星々の集団の見事な天の川が頭上に展開されます。
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帰路のアマダブラム(6814m)
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夜明け前の Mt.Everest & AmaDablam
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朝陽のコンデリ(6187m)
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タムセルク山頂 (6618m)
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クンビラ(5761m) の見える
ドゥートゥコシの谷からも”さようなら”をしました。