戸隠神社
   2018/8/19

長野・妙高高原からの帰りは”鬼無里”を経て白馬に帰ります。

途中に戸隠を経由しますが、
戸隠に近づくと空いている駐車場      ・・・遠い駐車場??

奥に進むほどに人混みが増し、誘導人のいる混雑する駐車場が増えてきます。

戸隠神社・中社




中社から奥社へ 古道を歩きます      初めての道

元女人堂跡への道  奥社礼拝堂があり、ここから遥拝。 明治4年に女人禁制は解禁。

比丘尼石(ビクニイシ)    尼僧が女人禁制を破って石になったとか・・・   

旧越後道男道   ネット情報:越後道(戸隠山道)から奥社へ向かい先で越後道に戻る道

稚児の碑   ・・・おかしな伝説?

雰囲気のよい古道です・・・・


午王嶺 峠には 椅子  その前には 戸隠山 


その後ろには  お地蔵さん?  仏様?    神社ですが、なぜ??  



ここから下り坂


古道は奥社参道口へ

 説明文によると、明治4年まで現奥社は”戸隠山顕光寺「奥之院」”と呼ばれていた。
 ここにも廃仏毀釈の名残りがあった。  顕光寺⇒廃仏毀釈⇒戸隠神社

大鳥居と馬止


参道の並木

その後に
立派な杉並木が現れ始めました・・・


その先に・・・
随神門 と 狛犬?      昔の顕光寺・仁王門を存続させ利用したのでしょう  




元々は仁王門に阿吽の仁王様が居られたのでしょう。


奥社参道杉並木








シラヒゲソウ     参道横に咲いていました


   ☆   

ネット情報:
平安時代から山岳密教の霊山として知られ、戸隠の神様は「九頭龍神」で、鎌倉時代には「戸隠3千坊」の一大霊場に。 室町時代の「戸隠山顕光寺流記」に「天の岩戸」の伝説が生まれる。
戦国時代には川中島合戦で前戦地帯となり、寺院は破壊され、移転、荒廃。太閤秀吉時代にで再興。 江戸時代には天台宗に、そして朱印地となり栄える。
明治維新の神仏分離令の発令で「戸隠山顕光寺」⇒「戸隠神社」へ。

これだけの歴史のある顕光寺の仏様たちはどの様な道を辿っていかれたのでしょうか??
奥社への道にしても、もっともっとたくさんの仏さまの姿を見られたでしょうに・・・。
一番の被害者ですね。

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